2023年映画振り返り

年末恒例の映画振り返り。23歳から続けてきた映画1000本ノック、悲願のゴールインを迎えた2023年。本数はかなり減ってしまったが、今年もいい映画に出会えて幸せだった。前に見て好きだったドラマをもう一度見返したらたくさんの気づきがあったり、ゲームオブスローンズを完遂できたのもよかった。映画以外でもいろいろな良作に出会えていい一年でした。

昨年同様、新旧・洋邦問わず、今年見たものすべて。あと何度か見たことあるけど今年もう一度見た映画も込みで。母数が少なかったので今年はベスト3までにしました。


鑑賞本数:45本
1位 ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
2位 カモン カモン
同率3位 saltburn
同率3位 メタモルフォーゼの縁側

同率3位 メタモルフォーゼの縁側
原作のコミックが本当に良すぎたのであまり期待していなかったけれど、久しぶりに「実写化されてよかった!」と思える作品だった。原作にないシーンもすべて魅力的だった。
いやしかし芦田愛菜、天才!この人の出てる作品初めてちゃんと見たかも。頭のいい人がやる、役に真摯な演技って大好き。

同率3位 saltburn
Amazonオリジナルの作品で、年末駆け込みで見てランクイン滑り込みしてきた一作。今年見たサイコ映画では君がナンバーワンだ!
まずは期待を裏切らないバリー・コーガンの怪演、凄まじかった。この人が出ているだけで「これはやばい映画だ」「絶対サイコ」と言い切れる、信頼感。
大学に進学した冴えない男子が、学内でも人気者でイケメンの裕福な学生と仲良くなり、彼の故郷の屋敷で一夏を過ごす話。最初から最後まで終始不穏な空気が流れていて「絶対何かある」と思った後に必ず何かあるのだがw、ラスト10分はその予想を遥かに超える驚きとエクスタシーが待っている。その10分で全て昇華される感じが、映画の構造として素晴らしいなと思った。

2位 カモン カモン
配信解禁を楽しみにしていた映画のひとつで、期待を悠々と越える作品で涙が止まらなかった。こういう映画が本当に好き。コンプラや多様性の扱い方・感じ方が人によって千差万別な昨今、映画ひとつに取っても、その作り手のスタンスによっては、作品そのものの訴求力だけでは評価できなくなってきたなと感じることが多々ある。そのうえで、この映画はわたしの考えていること、世界はこうなってほしい、こうなるべきだろうと思っていることが美しく言語化されていて、見終わった後に「今はもうこれだけでいい、何も見たくない」という気持ちになるほどの豊かな余韻が残った。子どもがのびのびと生きていられる世界であってほしいし、すべての大人たちは子どもを子どもという枠にはめ込まず、この主人公のように真摯に、人間として向き合うことが大事だと思った。A24、こういう映画もっとおなしゃす!

1位 ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
え、びっくりした?これが1位だって?わたしもびっくりしています!しかしわたしの2023年は、トム・クルーズなしには語れない一年だったとしみじみ思うのだ。
これまでアクション方面のトムに興味がなく、全くと言っていいほど作品を見てこなかったわたしだが、トップガンマーヴェリックの評判を聞いて「これは観る価値がありそう」と思い、手始めにトップガンを見たのがすべての始まりだった。あっという間に、大半の映画ファンと同じように飛行機を操るトムに夢中になったわたしは、続けてマーヴェリックを鑑賞。人生(というか命)をかけて作品と向き合うトムの姿に、同じ時代に生きていることを感謝したのだった。

そのみの勢いで映画館に駆け込んだその日。61歳のトム・クルーズが全速力で走り、決死の覚悟で崖から飛び降りる姿を2000円で観られる奇跡に感謝しながら、スクリーンを見つめていた。なんてことのないストーリーだ。それでも、遠い世界のシネマスターと同じ時代に生きていることが心から嬉しくて、幸福を感じながら映画を見ていた。
いい作品に出会えた時の、心にジーンと沁みるような感動とはまた違う、エネルギーに満ち溢れるような感動が残り続ける。どちらもあるから、やめられない。
映画が好きでよかった!

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以上、2023年の振り返りでした。
2024年もよろしくお願いいたします!

残暑の候

残暑厳しい9月の下旬、みなさまいかがお過ごしでしょうか。暑すぎ。

今月末から、パートナーの家族に会うために2年ぶりにヨーロッパに行くことになった。2年前はコロナに対する不安でソワソワしていたが、今回もまた別の命の危険を感じながら渡欧することになる。

飛行機に乗る前は、いつも「これで死ぬかもしれないから、幸せだったことを思い出そう」ムーブに入る。長期の海外旅行はこれで3回目か。1度目が27歳の秋冬?2度目が33歳の夏秋、そして35歳の秋。初めてロンドンに一人旅をした8年前と比べると、随分と遠いところまで来てしまった。欲しいと思ったものは大体手に入れて来た、ラッキーな人生だとしみじみ思う。

日々嫌なこと、しんどいこと、大変なことに溢れているが、なぜかいつも心の中にあるのは「今死んでも後悔しない」という気持ち。なぜなんだろう?まだまだやりたいことはたくさんあるし、行きたい場所も、見てみたいものも数え切れないくらいあるのに、ちっとも口惜しさがない。振り返れば散々な経験もしてきたはずなのに、いざ思い出そうとすると幸せだったことしか思い出せない。これからのことを思うときも、こんな社会で生きなければならないという絶望に反して、なぜか希望に満ちている。自分のことを大切に想ってくれる人がいて、この人とならこの先の人生を一緒に過ごしてもいいかもなと思える人がいる。それが今の幸せの一端を形作ってくれていることに間違いはないが、たとえこの先また独りになろうと、それでも楽しく生きていくんだろうよお前は、という信頼が自分に対してある。これが自己肯定感というものなのだろうか?自己信頼性というほうが正しいのか?とにかく、わたしは人並みにコンプレックスを持ち、どちらかといえばシニカルな感受性に溢れた人間であることは間違いないし、これからもたくさん間違いを犯すだろうが、命が終わるまでは、やりたいことをやって、やりたくないことをできるだけやらずに、しぶとく生きていくだろう。それが、わたしの人生なんだろう。

35歳も半分を過ぎた。いつこの人生が終わるかは分からないけど、終わるまでは自分を信じて一生懸命生きていこう。

6月の徒然

誰かと一緒に暮らしていると、時間があっという間に過ぎていく。去年の夏から「5年日記」を始めて、今も毎日コツコツと続けているが、自分の心情をつらつらとしたためる時間は随分と少なくなってしまった。久しぶりにぽっかりと空いた時間に何をしようかとなり、喉風邪からの病み上がりで運動もできないので、こうやってブログを開いたのだった。

パートナーとの間で妊活計画が具体的な話として持ち上がったことから、わたしの転職活動は現在休止中である。うまくいく保証はこれっぽっちもないが、万一うまく事が進んだとして、今の職場で産休を取った方が気持ち的には楽だし、タイミング的にはこれが正解なのだろう。仕事の人間関係については引き続き悩みは尽きないが、どこにいったって同じなのだ。自分がその問題にどう向き合うかで全ては変わってくる。わたしはもう少しだけ自分の心の強度を上げたいし、上げなければと思っているから、修行だと思って頑張ろう。まあ生きていればいろいろあるが、結論、大事なのはどの選択肢を選ぶかではなく、その選択肢を自分で選んだかどうかである。それを正解にしていく日々をこれから作る。ただそれだけだ。

秋頃から本格的に妊活を始めるにあたり、ブライダルチェックなるものを受けてきた。これ、30歳越えて妊活始める人には全員に勧めたいと思うくらいには、やってよかったと思っている。具体的な数値で自分の体の状態を知るの、めちゃくちゃ大事。特にわたしは昔から持病があるので、やはり数値的には妊娠しにくい体ということが改めてわかってよかった。パートナーの状態は至って健康で、予想通りで笑ってしまった。パートナーは宗教的な絡みもあり、わたしが妊娠できることを信じて疑わない人なので、もうすべては時の流れに任せよう、、という心持ちでいる。なるようになる。

パートナーの友人夫婦がお互いに不倫していることが分かり、その話題でしばらくなごやかな討論をした夜があった。わたしたちはお互いに、恋愛において運命というものを信じていない部類の人間だ(正確に言うと、パートナーは運命の相手と過去に出会い結婚まで至ったが結局うまくいかなかった。わたしは運命を信じてはいるが、今世でその相手に出会うことは諦めている)。わたしたちがうまくいっている理由のひとつは、お互いが恋愛においてジェットコースターのようなドキドキや大恋愛みたいなものをもう必要としておらず、安心第一の落ち着いた恋愛を求めている点だねという話になった。だから相手が夜遅くまで飲みに行っても快く送り出せるし、男女の友達との関わりにおいても気にならないしねと。そういう価値観が共有できる人に出会えたことは、ラッキーだなと思う。

そのことを今でもふと考えるときがあるのだが、わたしの人生に運命の出会いというものがあったとしたら、それは親友たちとの出会いだという結論に至った。この人たちのおかげで、わたしの人生は何倍も何百倍も楽しくなったのだ。そういう意味では、わたしは運命の出会いだと思える人たちが長くそばにいてくれる人生を送っているので、めちゃくちゃ幸せだなと思うなど。

というような徒然、6月の雨の日。

35歳の地図

季節があっという間に過ぎていって、もうすぐ夏が来ようとしている。いつか自由になったらあれがしてみたい、これがしてみたいと思うことばかりが増えていく。春にはまたひとつ、歳を重ねて。

行きたいと思ったその時に海外に行けるような、ある程度自由の利くワークスタイルに変えたい。それも給料を下げずに。そのためには専門的なスキル、それも海外で通用するスキルを手に入れたい。いずれ海外で働くことを視野に入れるなら、英語は最低限のビジネスレベルまで持っていきたい。そしてパートナーの家族や友人とコミュニケーションを取りたいから違う言語も勉強したい。それと同時に妊活の話も具体性を増してきているし、理想の自分に近づくためにジムにも通いたいし、脱毛もしたいし、友人と旅行もしたいしこうやって文章を書く時間もほしい。。時間がないし、身体がひとつじゃ追いつかない。

でも待っていても何も変わらないから、やれることからやるしかない。どうせどんなに足掻いたって一歩ずつしか進めないし、わたしといえば昔から遠回りするタイプの人間なのだ。目の前に迷路があって、たぶんこの道がゴールまでの最短距離だとなんとなく分かっていたとしても、全部の可能性を自分の足で歩いて試してみないと怖くて不安な性格ですので。

35歳のわたしの前に広がる選択肢は、たとえば25歳の頃に比べたらもっと複雑で視界不良になっている。いろんな責任が重くのしかかるし、パートナーのこともあるし、社会に対する不安も強くなったし、ずっといると思っていた親だって、どうやったって老いていく。やりきれないことがまだまだたくさん待っているだろう。それでも生きていくしかない。今わたしが持っているものと、これから必死になって掴もうとするその何かを持って、この世界で闘っていくしかない。いつか若さのきらめきも遠くなって、大切な人たちも自分の手から離れていって、わたし自身を構成していた要素が剥がれ落ちていっても、わたしはわたし以外にはなれない。それ以上でも、それ以下でもない…それでもこう思う。今目の前にある選択肢のどれを選んだとしても、幸せになる未来しか見えない、と。誰に与えられたわけでもない、わたしが自分で納得して用意した選択肢だから。

人生を懸けて舞台に立ってくれている推しを見ながら、あなたもそうやって、先の見えない、だけど自分自身で選んだ道を歩んできたんだね、と思う。どれだけ大変だっただろう、どれだけ辛いことがあっただろう。努力する姿を決して見せないあなたが歩く道に、どうかたくさんの花が咲いていますように。そう願いながら、わたしもまた一歩を踏み出すのだ。

2022年映画振り返り


時が経つのが早過ぎる…!が、誰にも更新を急かされず、書きたい時に書ける場所があることの有り難さよ。

ということで今年も映画振り返り。ドラマにハマったり同棲始まったりでペース落ちてますがなんとか50本超えは達成。1000本ノック達成まであと残り40本弱!

昨年同様、新旧・洋邦問わず、今年見たものすべて。あと何度か見たことあるけど今年もう一度見た映画も込みで。


鑑賞本数:59本
ランキング:
1位 チック、チック…ブーン!
2位 それから
3位 スタッツ 人生を好転させるツール
4位 SPRING FEVER
5位 アメリカン・ユートピア

去年に比べるとガツン!と来るような衝撃を受けたのはチックチックとアメリカン・ユートピアくらいかな。劇的な鑑賞体験という感覚はあまりやって来なかった。すごく期待していた映画があんまりだったりして。でも来年は映画館に行く回数増やしたいな。知らんけど。

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5位 アメリカン・ユートピア
スパイク・リーの監督作だという理由だけで、映画なのか何なのかも分からずに鑑賞。トーキング・ヘッズというバンドのフロントマンだったデヴィット・バーンらによる伝説のライブショーを完全映画化した作品だった。洗練されたダンスショーのような構成なのだが、「I Know Sometimes a Man Is Wrong」のワンフレーズを聴いた瞬間に頭を殴られたような衝撃が。とにかく音楽がよい、、それだけでベスト5にランクインするほどである。感想は以上である。

4位 SPRING FEVER
ずっと見たかった映画がアマプラで解禁!期待を裏切らない良作。初のロウ・イエ監督作で鑑賞後とにかく気持ちがぶち上がった。

3位 スタッツ 人生を好転させるツール
Twitterで見知らぬ映画好きがおすすめしていて見た。フィクションとノンフィクションが絶妙に噛み合っていて、映画の構成がよかった。精神科医であるスタッツの教えを紹介するのが目的だが、日常生活に役立ちそうなことが多かった。痛みと不確実性、継続的な努力。この3つを避けながら生きることは不可能で、どうやったらこの3つとうまく付き合っていけるのか。人に薦めたい一作。

2位 それから
去年から今年にかけてホン・サンスめっちゃ見たな。劇的に面白いわけでもない、かと言って筋がないわけでもない、なのになんだか目が離せないのがホン・サンス。ああ、ホン・サンス

1位 チック、チック…ブーン!
年明け2発目に見た映画が堂々の1位を飾りました!これ見て信じられないほど号泣したな。アンドリュー・ガーフィールドエマ・ストーンズと別れた時から俺は一緒アンドリューを応援すると決めたが、そのアンドリューがやってくれました…(感涙)これでアカデミー取って欲しかったなあ。
才能のあるミュージカル作曲家の苦悩を描いた作品で、とにかく曲がいい。アンドリューの歌声が伸びやかていい。そしてストーリーも最高!私の中でララランドに次ぐミュージカル映画になりそう。

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以上、今年の振り返りでした。
来年もよろしくお願いいたします!

8月30日〜9月2日

パートナーが交通事故に遭った。その時のことを覚えておきたくてここに残します。

8月30日 午後8時半
元同僚と中華を食べ終え、大雨の中を自転車で帰宅。前が見えないほどずぶ濡れになった。自宅に着くとパートナーの自転車がない。夜ご飯は別々になることが決定していたから、友達に会いに行ったんだなと思った。大雨は大丈夫かな?と少し心配する。その後全裸になり速攻風呂に飛び込む。

午後9時20分過ぎ
髪を乾かそうと洗面台の前に立ち、オイルをつける。ドライヤーのスイッチを入れる前に携帯電話が手元にないことに気づき、リビングに取りに行く。

午後9時半
リビングの携帯が鳴っている。パートナーからだ。応答すると、誰か知らない男性がパートナーに話しかけている声がする。パートナーの声が聞こえたので何度も呼びかけるが、電波が悪いのか会話が出来ない。かけ直そうとして電話を切ると、9時20分頃から7、8回の着信があったことに気づく。
再度かけ直すと、救急隊員と思しき人が電話に出た。最寄りのスーパーの近くでパートナーが交通事故に遭ったこと、病院に搬送したいが付き添い兼通訳が必要だというようなことを言われ、すぐに来られるかと聞かれた。5分か10分で行けると答えて、濡れ髪のまま慌てて服を着替えて家を飛び出した。外はまだ雨が降っていて、なんでやねん!と思いながらレインコートを羽織って自転車で向かう。途中で「救急車に乗るならタクシーで行ったほうが良かったかな」と思いながら、とにかく急いで向かった。

午後9時45分頃
現場に到着。居合わせた警察官に身元を説明し、詳細を聞く。パートナーはきちんとルールを守って進行方向の自転車用道路を通行していたが、相手側が進行方向とは逆の道路(=パートナーと同じ道路)を使用してお互いに衝突。歩行者道路に跨るようにして路駐していた車が視界を塞ぎ、双方とも相手の姿が見えなかったらしい。

その場にいた加害者から謝罪を受けたが、状況が分からないのでひとまず連絡先を聞き救急車へと向かう。その直前で眼鏡をかけた男性が「これ、男性の荷物です」と買い物袋を渡してくれた。血が付いた買い物袋の中身はパートナーの好きなすももで、これを買うためにスーパーに寄ったんだなと思ったら愛おしくて悲しくて泣きそうになった。

後から分かったが、その男性はたまたまそこを通りがかり、日本語のできないパートナーのために通訳をしてくれたらしい。電話に出たのも彼だったようだ。個人情報の関係で連絡先は教えられないと警察官に言われ、お礼を言えずじまいとなってしまったが、本当に感謝。

午後10時過ぎ
救急車に乗り込むと、頭に包帯を巻いたパートナーが狭い車内で担架に乗せられていた。頭を強く打ち、切り傷ができているらしい。意識はあり、ちょっと疲れてるなくらいの見た目。会話も普通に出来たので、一旦ここで冷静になれた。パートナーは過去に2度、大きな脳しんとうを経験している。そのうち一回は生死を彷徨う手術を受けているので、それが心配だった。

搬送先はすぐに見つかったのだが、熱が38度近く出ているらしく、コロナ疑いで搬送出来ないかもと言われる。外傷があるんだから熱が出るのは当たり前でしょと言いたかったが、コロナじゃないと言い切れないから何も言えなかった。困ったなと思っていたら車が動き出した。どっちやねん、、

意識を途切らせたくなくて、ひたすらパートナーに話しかける。完全に相手の過失であるため、パートナーはめちゃくちゃ怒っていた。怒る元気があるなら大丈夫かも、、とすら思う。生まれて初めて救急車に乗ったが、揺れが酷く、乗り物酔いの気があるパートナーを励ますので精一杯だった。

午後10時30分頃
病院に到着。待っている間に加害者の方から電話が入る。改めての謝罪を受け、今後の段取りを軽く話す。発生した金銭等は全て払う気があるとのことで、常識のある人でよかった。引き続き連絡を取り合うことを約束し、終電。

しばらく待っていると看護師さんに呼ばれ、「頭を縫う必要があると説明してほしい」とのこと。お医者さんはみんな英語が出来ると勝手に思ってたけど、違うのか、、そしてコロナの関係で処置室には入れないとのことで、ドアの向こうから叫ぶという謎の対応を迫られた。必死に説明するも、「痕が残るから嫌だ、縫わなくていい」とパートナーの返事。溶けるタイプの糸はないか看護師さんに確認したが、抜糸が必要な糸しかないとのこと。外科専門じゃないから仕方ないのかもしれない。縫合しないと血が止まらないことを説明してようやくパートナーの許可を得た。

午後11時頃
看護師さんに再度呼ばれ、コロナの検査が陰性だったので近くにいていいですよと言われた。病室に向かい、ぐったりしたパートナーと対面。看護師さんたちが英語を理解できないのををいいことに、パートナーは縫合がどれだけ酷いものだったかを説明し始めた。その時はガーゼで覆われていたので「仕方ないでしょ」と嗜めることしか出来なかった(が、帰宅してから傷口を見たら確かに酷かった)。
看護師さんから抜糸時期と今後の注意点を聞き取った後、帰宅許可が出た。

午後11時半頃
タクシーを捕まえて、家に向かう。治療が終わったら連絡が欲しいと警察官に言われていたので、車内から電話をする。加害者に対してこれ以上の罪を問いたいかどうかを本人に確認してほしいとのこと。それどころじゃないんだが、、ということで追って再連絡することに。

この返答次第で、警察が今後のやりとりに加わるかどうかが決まるらしい。警察的には加害者側の非が100%で、加害者本人が全ての罪?を償うつもりでいることから、示談で終わらせる方向にしたいらしい。「たまに話し合いに応じず逃げる人もいるが、相手の方はとてもまともなので示談で終わらせたらいいと思う」と警察官からアドバイスあり。

この時点で上司に事情を説明し、明日休みが欲しいと連絡。驚きながらも許可してくれたが、パートナーへのお見舞いの言葉が一切無いことに引っかかる。なんかこういう小さなことの積み重ねで、会社に対する信頼感が薄れていく、、

午前0時前
帰宅。パートナーに警察官や加害者と話したことをひと通り共有して就寝。

8月31日AM
起床。パートナーは頭痛、めまい、首の痛みが朝から出ているようだ。食欲はあるらしい。朝ごはんを軽く食べてから、パートナーは寝室で横になっていた。仕事は来週の月曜日まで休みを取れたらしく一安心。

わたしは身支度をして、昨日交番に置きっぱなしにした自転車2台を引き取りに行くことに。何かあったら連絡して!と伝えて家を出るが、数分後に家に携帯を置いてきたことに気づく。取りに帰ろうか迷ったが、パートナーを信じてそのまま交番に向かった。

先にパートナーの自転車を引き上げてから、自分の自転車で買い出しに行こうとしていたのに、交番に着いてからパートナーの自転車の鍵を持っていないことに気づく。こんな時でもおっちょこちょいは健在である。

交番の警察官に自転車を引き取りにきたことを伝えると、昨日現場にいなかった警察官だったらしく、パートナーの連絡先や個人情報をいろいろと聞かれた。「できれば2回目に来る時に在留カードを持ってきてください」とのこと。日本で外国人が生きていくのに、在留カードは命の次に大切と言っても過言ではなさそう。

自分の自転車を引き上げ、そのまま買い出しへ。ヘトヘトになりながら帰宅。置き忘れた携帯を開くとパートナーからLINEが入っている。「やばい!」と思って急いで確認したら、tiktokのおもしろ動画が共有されていただけだった。驚かすな!

在留カードと自転車の鍵を握りしめて再び交番へ。警察官に挨拶してから、パートナーの自転車を引いて帰宅。異様に高いサドルの自転車を引きずる152cmの女を不思議そうに見る京大生たち。こっち見るな!

8月31日PM
交番からの帰り道で、絶対にマクドナルドを食べると決めたわたし。疲れている時に限って、身体に良くないものを脳みそは欲しがる。マクドナルド大好き人間のパートナーにも一応声をかけると、「食欲ないからいらない」とのこと。その数分後に「やっぱり食べる」と言ってきた。すべて予想通りである。

お店まで向かう元気はなく、ウーバーイーツで注文。えびフィレオを食べたらみるみる元気が出てきた。パートナーも頑張ってひと通り食べて、その後は再び横になっていた。

軽く掃除をしたり、パートナーのケアをしているうちに夕方に。さすがに夜ご飯は栄養のあるものをといろいろ作った。一緒に夜ご飯。スープが一番食べやすいとのことで、しばらくはスープ中心のメニューに切り替えることに。一日中ゾンビのようなパートナーの姿に、明日も付き添ったほうがよさそうだなという気持ちに駆られ、もう一日休ませてもらうことに。こういう時にスパッと「休んでいいよ!」と言ってくれない上司。ああまた仕事の愚痴が、、

可哀想なくらいぐったりしているパートナー。無表情で言葉少なく、拗ねてるのかなとも思ったが、よくよく話を聞いたところ、表情筋を動かすと傷が痛むらしい。笑うことができなくて辛いとのこと。無理して笑わなくていいよと伝えた後、tiktokのおもしろ動画を見せて笑わせようとする悪どい彼女、、

9月1日
起床。朝から大雨。気圧の影響を受けやすいパートナー、頭痛とめまいが酷いとのこと。かわいそう。少しずつ口数が増えてきた。首が痛むようなので、痛み止めの湿布を貼ってあげたらかなり効いたらしい。

パートナーが横になっている時間を見計らって自分のことをしようとしたが、そのタイミングでいろいろお願いしたいことが出てきたらしく声をかけられる。もしわたしが誰かを介護することになったら、こういう生活になるのか、、と思いを馳せ、すべての介護職の人々に感謝の気持ちが湧いてきた。

明日は仕事のため23時就寝。深夜2時前、パートナーが突然飛び起き、枕を抱えたまま寝室の壁を指でなぞっている。虫かな?と思ったわたしも同じく寝ぼけているので、「ヤモリ?!」と聞くと夢から覚めたらしく、そのまま枕を抱えてトイレに向かってしまった。(なぜヤモリと聞いたかは誰も分からない)
心配になって追いかけると「悪夢を見た」とのこと。かわいそうに。

9月2日
起床。パートナーもしばらくして起きてきた。昨日よりめまいがマシになったとのこと。朝の時点では少しだけ良くなっているように見えた。

出勤。嫌いな同僚に早速「大丈夫でしたか?」と声をかけられる。なんでお前が知ってんだよと思いつつ、大丈夫ですと言えるわけないだろと思いつつ、適当に返事をする。お前には何があっても詳細を話すことはありません。

溜まっていた仕事を片付けていたら、あっという間にすることがなくなった。担当の現場が早く終わったので時間休を取って2時間早く帰宅。ここには書かないがすごくしみったれた嫌なことが職場であり、もうここにいる意味も、いたいという気持ちも失せてしまった。その結果「今年度中に転職先を見つける」という固い意思が定まった。

買い出しを済ませてから帰宅すると、パートナーが嬉しそうだった。もう笑っても傷が痛まないらしく、表情が豊かになっていた。ただ頭痛がひどいのと、めまいが復活したのと、吐き気があるらしい。夕方までは食欲があったとのこと。夜はスープを数口飲んでから、しんどいと言って横になってしまった。全体的にはよくなっているとの本人談。運良く明日は休みなので、注意しながら付き添う。

記憶に生かされる日々


最後に日記を書いたのがもう3ヶ月前とは。時間の流れはあっという間だ。

彼の地の戦争は未だ終わらず、誰がこんなふうに長期化すると予測していただろう?もう一年も前になる旅の写真を振り返りながら、この場所も、あの場所ももう今はすっかり変わり果てているかもしれないと思うと、本当に心から残念だ。

戦争が始まって以降、その旅の思い出話はわたしたちの間でもはや触れられない話題となってしまった。あんなに楽しく、ストレスフルで、二度と経験できない旅の美しさやきらめきを、そのままの気持ちで振り返られないのが本当に悲しい。わたしでさえこんな風に胸を痛めているのだから、母国であるパートナーにとって、この変化はどうにも受け入れ難く、あの頃を振り返るにはあまりにも辛すぎるだろう。

パートナーとの生活が始まってもうすぐ3ヶ月。最初の1ヶ月は浮き足立っているうちに終わり、不安でしかなかったが、この家に自分がフィットして来ているのが最近よく分かる。一方でパートナーとの相性という意味では、本当にわたしたち二人は考え方も価値観も正反対なのだということを毎日痛感している。そのことが刺激的に思える日々は、もしかしたらもう過ぎてしまったかもしれないと思うときがある。楽しいと感じることや、嫌だなと感じることがことごとく異なるのだ。安心を感じたい時に相手は性的なことを考えていて、これこそが自由だと考えているときに相手は宗教観に反していると認識するような、そういうすれ違い。一緒に楽しめることを探すほうが困難かもしれない。

自分によく似た嗜好、よく似た考え方、よく似た価値観の人と一緒にいられたらどれだけ楽だろう?と考えたりもする。同時に、そんなに都合のいい人間はそうそういないのも知っている。運命とかを信じる年頃はもうとうに過ぎた。だけれど、いろんなドラマや映画を見ていると、わたしもそういう経験を一度でいいからしてみたかったと思う。来世でも今のパートナーと出会いたいかと言われると、友達としては出会ってみたいが、パートナーとしてはもういいかな、、という感じ。そう思ってしまうことが、少し悲しい。今のパートナーはわたしの背中を押し続けてくれる仲間のような存在。鼓舞してくれるので、わたしが前向きでポジティブなときにはすごく心強い。でもネガティブなときはどうだろう?しかし今までの彼氏で、ネガティブなときに寄り添ってくれる人がいただろうか(いや、いない)。なんかふと振り返ると、陽キャを積極的に選んでるように見えるな。わたしがバカなのかなと思えてきた、心から陰キャが好きなのに。

別れたほうがいいのかなということを少しずつ考えている。また親とかに「あんたって人は」と言われそう。懲りない人間なんですよわたしは。。

今はねえ、イギリスに行って訳もなく街を歩きたいですね。白鳥が優雅に泳いでいた、大きな池のあるロンドンの公園が恋しいですね。強風の中でプリムローズヒルという可愛らしい名前の丘にに座って、キセルを聞いたあの冬が恋しいですね。そういうささやかで愛おしい記憶が、今のわたしを支えているのですな。