新年

あけましておめでとうございます。

新年になったので、前にやっていたブログをやめて、新しくブログをはじめました。自分の中だけでの区切りなので、それ以外に特別な意味はありません。

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年末年始は、京都で用事を済ませた後に実家に帰った。
京都の夜は久しぶりに楽しい時間。Hさん、Kさんが相手をしてくれて美味しいお肉屋さんでたらふく肉を喰らい、落ち着く間もなく2軒目でワインを流し込む。大学時代の4年間であまり訪れることのなかった木屋町は、わたしの頭の中にある京都の記憶とは少し趣が違い、しかし、楽しかった。

翌日、泊まっていたドミトリーを出る前に衝撃的なメールを高校時代の友人からもらう。

昨年、母型の祖母が亡くなった。米寿を越え、大往生だった。最期の方はどんどんと身体が小さくなっていって、介護をする母親もどんどん小さくなっていった。祖母が死に確実に近づいていることを誰もが理解していて、だから、例えば雨上がりに若葉を濡らす露が葉の先から滴ろうとするその瞬間、葉から離れて雫になるその瞬間が死だとするのなら、わたしたちはその葉の下にそっと手を差し出して、雫になるのを、雫が手のひらを濡らすのを、静かに、覚悟して、待っている。祖母の死は、そういうものだった。

一方。あまりにも突然すぎたその瞬間、葉から離れた雫は、誰の手のひらにも触れず地面に落ちて水たまりに溶けて行った。記憶の中の彼はいつでも照れくさそうに笑っていて、思い出そうとすればそのステップの小さなバットスイングだって鮮明に思い出される。

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東京に戻ってきて、運良く家までのバスに座れて、外の景色を見ながらそんなことを想った。降りた停留所、おばあちゃんが重そうに荷物を運んでいた。一瞬ためらって、青信号がちかちかしているのを見て、声をかけずに走った。