35歳の地図

季節があっという間に過ぎていって、もうすぐ夏が来ようとしている。いつか自由になったらあれがしてみたい、これがしてみたいと思うことばかりが増えていく。春にはまたひとつ、歳を重ねて。

行きたいと思ったその時に海外に行けるような、ある程度自由の利くワークスタイルに変えたい。それも給料を下げずに。そのためには専門的なスキル、それも海外で通用するスキルを手に入れたい。いずれ海外で働くことを視野に入れるなら、英語は最低限のビジネスレベルまで持っていきたい。そしてパートナーの家族や友人とコミュニケーションを取りたいから違う言語も勉強したい。それと同時に妊活の話も具体性を増してきているし、理想の自分に近づくためにジムにも通いたいし、脱毛もしたいし、友人と旅行もしたいしこうやって文章を書く時間もほしい。。時間がないし、身体がひとつじゃ追いつかない。

でも待っていても何も変わらないから、やれることからやるしかない。どうせどんなに足掻いたって一歩ずつしか進めないし、わたしといえば昔から遠回りするタイプの人間なのだ。目の前に迷路があって、たぶんこの道がゴールまでの最短距離だとなんとなく分かっていたとしても、全部の可能性を自分の足で歩いて試してみないと怖くて不安な性格ですので。

35歳のわたしの前に広がる選択肢は、たとえば25歳の頃に比べたらもっと複雑で視界不良になっている。いろんな責任が重くのしかかるし、パートナーのこともあるし、社会に対する不安も強くなったし、ずっといると思っていた親だって、どうやったって老いていく。やりきれないことがまだまだたくさん待っているだろう。それでも生きていくしかない。今わたしが持っているものと、これから必死になって掴もうとするその何かを持って、この世界で闘っていくしかない。いつか若さのきらめきも遠くなって、大切な人たちも自分の手から離れていって、わたし自身を構成していた要素が剥がれ落ちていっても、わたしはわたし以外にはなれない。それ以上でも、それ以下でもない…それでもこう思う。今目の前にある選択肢のどれを選んだとしても、幸せになる未来しか見えない、と。誰に与えられたわけでもない、わたしが自分で納得して用意した選択肢だから。

人生を懸けて舞台に立ってくれている推しを見ながら、あなたもそうやって、先の見えない、だけど自分自身で選んだ道を歩んできたんだね、と思う。どれだけ大変だっただろう、どれだけ辛いことがあっただろう。努力する姿を決して見せないあなたが歩く道に、どうかたくさんの花が咲いていますように。そう願いながら、わたしもまた一歩を踏み出すのだ。