6月の徒然

誰かと一緒に暮らしていると、時間があっという間に過ぎていく。去年の夏から「5年日記」を始めて、今も毎日コツコツと続けているが、自分の心情をつらつらとしたためる時間は随分と少なくなってしまった。久しぶりにぽっかりと空いた時間に何をしようかとなり、喉風邪からの病み上がりで運動もできないので、こうやってブログを開いたのだった。

パートナーとの間で妊活計画が具体的な話として持ち上がったことから、わたしの転職活動は現在休止中である。うまくいく保証はこれっぽっちもないが、万一うまく事が進んだとして、今の職場で産休を取った方が気持ち的には楽だし、タイミング的にはこれが正解なのだろう。仕事の人間関係については引き続き悩みは尽きないが、どこにいったって同じなのだ。自分がその問題にどう向き合うかで全ては変わってくる。わたしはもう少しだけ自分の心の強度を上げたいし、上げなければと思っているから、修行だと思って頑張ろう。まあ生きていればいろいろあるが、結論、大事なのはどの選択肢を選ぶかではなく、その選択肢を自分で選んだかどうかである。それを正解にしていく日々をこれから作る。ただそれだけだ。

秋頃から本格的に妊活を始めるにあたり、ブライダルチェックなるものを受けてきた。これ、30歳越えて妊活始める人には全員に勧めたいと思うくらいには、やってよかったと思っている。具体的な数値で自分の体の状態を知るの、めちゃくちゃ大事。特にわたしは昔から持病があるので、やはり数値的には妊娠しにくい体ということが改めてわかってよかった。パートナーの状態は至って健康で、予想通りで笑ってしまった。パートナーは宗教的な絡みもあり、わたしが妊娠できることを信じて疑わない人なので、もうすべては時の流れに任せよう、、という心持ちでいる。なるようになる。

パートナーの友人夫婦がお互いに不倫していることが分かり、その話題でしばらくなごやかな討論をした夜があった。わたしたちはお互いに、恋愛において運命というものを信じていない部類の人間だ(正確に言うと、パートナーは運命の相手と過去に出会い結婚まで至ったが結局うまくいかなかった。わたしは運命を信じてはいるが、今世でその相手に出会うことは諦めている)。わたしたちがうまくいっている理由のひとつは、お互いが恋愛においてジェットコースターのようなドキドキや大恋愛みたいなものをもう必要としておらず、安心第一の落ち着いた恋愛を求めている点だねという話になった。だから相手が夜遅くまで飲みに行っても快く送り出せるし、男女の友達との関わりにおいても気にならないしねと。そういう価値観が共有できる人に出会えたことは、ラッキーだなと思う。

そのことを今でもふと考えるときがあるのだが、わたしの人生に運命の出会いというものがあったとしたら、それは親友たちとの出会いだという結論に至った。この人たちのおかげで、わたしの人生は何倍も何百倍も楽しくなったのだ。そういう意味では、わたしは運命の出会いだと思える人たちが長くそばにいてくれる人生を送っているので、めちゃくちゃ幸せだなと思うなど。

というような徒然、6月の雨の日。