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実に2か月ぶりの更新である、、、

劇場オープン後、怒涛の3か月が終わろうとしている。個人的な話でいえば、今の職場で1年とちょっと働いてきて、新しいことたっくさん経験してきて、ちょっとはたくましくなった気になっている。そして職場環境という話でいえば、大きな、新しい劇場は今たくさんの問題を抱えていて、同じチームの先輩たちとお酒を飲みながら話すことは専ら来年度からの体制についてだ。

以前の職場は職員5、6人で回っていた小さな劇場だった。問題はやはり少なくはなかったが、今思えばそれなりに管理職は管理職として機能していて、福利厚生、労働環境という面では賃金の安さは目立ったもののさほど大きな穴はなく、定時ダッシュしようと思えば午後4時半に街へ繰り出せるくらいのホワイトな職場だった。今、わたしだけでなく職員の多くが過重労働を強いられていて、わたしはこの3か月まともに休んだのは両手で足りるくらいの回数で、よくまあ大きな病気もせず生きているなあと思う。酷さ比べをすればきりがないが、熱意で何とかなるレベルをゆうに超えていて、管理職の決断力のなさを痛感している日々である。

3月はフェステイバルの公演に2本関わっていて、大変だけど学ぶことの多い毎日だった。フランスから来たアーティストとそのチームはとてもチャーミングでラブリーで、拙いわたしの英語力ともてなしを充分に受け入れてくれ、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれた。毎回公演が終わる度にカンパニーの誰かと喜びのハグをして、打ち上げの時には巨漢の舞台監督にそのままぶん投げられそうになった。パフォーマンスは毎度唾液を垂れ流し半裸で踊り狂うというヒヤヒヤの内容だったが、一度もクレームが来ることもなく京都のお客さんのゆるさを感じた。わたしにとっては初めての自主公演の制作、海外カンパニーの受け入れで、わからないことだらけで言葉が通じずめげたりもしたが、最初に仕事をしたのが彼らで本当に良かったと思う。

そのあと、わたしがこの世界に入るきっかけを作ってくれた演出家の人との仕事が始まった。世界初演の新作で、5年前の震災と、そして新しいことばとからだの空間の創出に取り組んだ、ご本人いわく超自信作であった。クリエイションのために彼らは3週間京都に滞在していて、その間これといったもてなしもできなかったけれど、ずっと憧れていた人とお酒を飲みながら創作の話やよもやま話をするのは夢のようだった。

ひどい震災から5年が経ち、今わたしたちは、忘れることなく、目をそらすことなく、恥ずかしさを捨てて、当事者としてその出来事と向かい合うべきなのだと。声をあげることを、変わっていくことを恐れず、照れずに、どれだけ真剣に考え続けていけるのか?この作品は決して震災のことだけを描いた作品ではないけれども、その言葉が、空間が、動作を控えめに真っすぐに感情を伝えてきたからだが放つメッセージは強い。

ずっと覚えている、目をつぶっても決して消えないそれらを抱えながら、それでもわたしたちは生きていかなければならなくて、生きるためには変化していく他なくて、そのためにあなたが必要で、そう気づいたときに、この部屋に流れる時間はまた動き出して、この旅を、わたしたちは死ぬまで終えることはできない。

多忙で感動的な日々が終わり、現実に目の前に広がる諸問題にうんざりしながら明日も働きます。30歳になる前にもう1ステップ踏みたい。そのために、28歳は人生を考える時間にしたい。このままここにいてはいけない、と心がつぶやいているので。