雨の金曜日

雨の金曜日、傘を差しながら下北沢を歩いた。久々に古着屋に行ったが、お目当てのものがなく徒労。夜からの芝居までの時間を潰すためにモスバーガーへ。


モスバーガー行き過ぎ。


雨の日が好きなのは、家に居る理由を自然界から与えられた気になるから。みんながみんな暗い気分のような気がして、わたしだけが暗いわけじゃないんだという気持ちになれるから。


新しい価値観、自分とは正反対の価値観に触れるときに感じるのは、決して喜びや感動だけじゃない。悲しみや、傷つくことも覚悟して、それでも手を前に伸ばすのだ。


それで昨日は、ポエマーと話していて、ちなみにポエマーはもうわたしのなかで距離感の近い友人としての位置づけとなりました。向こうもたぶんそう思ってくれていると思う。あまりにも前の人と似ているところがありすぎて、しかもその似ている部分をわたしはどうしても許容出来ずに終わってしまったので、やっぱりポエマーは恋とか愛とか挟むよりも、純粋にひとりの人間として仲良くなりたい、友人として。と思っている。


ポエマーと電話で話していて、これから付き合う人に何を求めるのか?そもそも恋愛に何を求めるの?というようなことを聞かれて、そんなこと考えたことなかったから思いのままに答えたら、あなた、重症だ。やばいね。そんな深いトラウマでもあったの?今度ちゃんと聞くよ。とものすごく心配されてしまった。


それでわたしは、深く傷ついてしまったのだった。26歳になっても過去のトラウマ引きずってることに恐れ慄いた。言っとくがわたしのトラウマなんてものは、もう本当に取るに足らないものである。取るに足らないものであるが、わたしにとっては辛い経験だったのだ。前の人にその話をしたとき、あなたよりもっと不幸な人はたくさんいる、そんなことをトラウマと言うなら、これからもっと辛いことが待ってるぞ、と言われたことがあって、それ以来わたしはこの話を誰にもしなくなった。つまりその程度なのだ。その程度ながら、わたしにとっては何よりも深い傷なのだ、、、


電話のあとお風呂に入りながらぐるぐる考えていると、絵に描いたように自我が崩壊していくのがわかって、これ以上考えてはいけない、だがしかしこの答えの出ない曖昧さに耐えて考え続けることこそが今年のわたしの目標だったろう?と思い直しながら、つまり落ち込んでいた。


わたしは人に嫌われるのを怖がるから出来るだけ人に対して寛容でありたいと思う。結局のところ、やさしさの理由は自分を守るためなのだ、そんなことはもうとっくの昔に気づいているのだ。それで必要以上に我慢して、それで我慢出来なくなったとき、わたしはひとりになりたがるのだ。


そんなときにそれでもそばにいてくれるひとを、わたしは欲しているし、相手にとってもそうでありたいと思っているのだ。共依存は全く望んでいないし、ひとりでも生きていける人でありたいと思うが、結局のところわたしは、絶対的な、確約的な、わたしだけの味方が欲しいのだ。


なんて勝手な言い分だろう。全部モスバーガーのせいだ。