きらきらひかれ

長くて短い人生の、ほんの一瞬の交わり。交差して、しばらく重なって進んで、そしてまた離れていく。そんな関係。

「肉食わんとやってられへんわ」と言いだした彼に連れられて焼肉屋へ、そこのお肉が心底美味しくて、1枚1枚口に運ぶたびにお互い笑いが止まらなくて、ずっとずっとウフフウフフと笑いながら肉を焼いた。命の恩人並みの上司にずっと肉を焼かせたわたし。本当すいません。目下の仕事のことや出張で行っていたヨーロッパでの話、上司の好きな映画の話を聞いていたら、あっという間に肉はなくなった。なんだかとてつもなく幸せで、だけど今一緒に働いている人たちはみんなそれぞれに高い目標があって、誰一人、ここに留まり続けることを目標としている人たちはいないんだってこと、たぶん、みんな、わかってる。わたしはわたしで、仕事の目標は低ーいけど、人生の目標はあって、やっぱり北に行きたいし、もっともっとやりたいことあるし、やりたくないことはやりたくない。だからいつかわたしも京都を離れるだろうし、ずっとひとりかもしれないし、結婚するかもしれないし、この仕事を続けているかもしれないし、案外あっさりやめているかもしれない。だけど、この一瞬は永遠ですね。何年たっても、今日この日、ふたりで美味しいお肉を食べたことは、わたしにとっての大事な一瞬になるだろうと、わたしはわかっていたんだと思う。

いつかまたはなればなれになる関係だとわかっているから、今を大切にしたい。あと、仕事とか関係なくっても、人として尊敬しているし大好きですってことを、ちゃんと行動で伝えられるようになりたいし、その恩返しを仕事の結果として形にしていきたい。しかしねえ。淋しいねえ。いつかはなればなれになっちゃうんだねえ。

ところでわたしには、稀有なことに、約8年も同じ線の上を歩いているふたりがいて、それはつまり、生まれたての赤ちゃんが小学2年生になるのと同じくらいの年月で、どうして、どうしてわたしたちは、こんなに長いこと、一緒にいられるんだろうねえと、不思議に、だけどこの奇跡を嬉しく思う、良いところももちろんそうだし、逆に人間臭いところも十分にさらけ出してきて、それでもなお、仲良くしてくれる人たちがいて、仲良くしたいと思える人たちがいて、それはとても幸運なことだ。できれば、ずっと近くにいてほしいし、近くにいたい。会いたいと思って会いに行ける距離を保っていたい。でもそれが永遠でないことも、やっぱりわたしは知っている。こういう時に、ああ、もう、子供じゃないんだなあ、って思う。

だけどさあ。いつまでも、また明日ね、って言っていたいよね。別れが来るなんて、今は信じられない。