Summer jam '18

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いつか振り返る夏のために。


毎日暑くって。暑さの度合いが半端なくって。汗だらだらかきながら、蜃気楼揺らめく町の中を歩いて。ここは、遠く海から離れた盆地のど真ん中。酷すぎる大雨と台風の後に一斉に鳴き出した蝉たちの声を聴きながら、なんて夏らしい夏だと空を仰ぐ。


大嫌いな夏をいつか好きになる時が来るのだろうか?と、いつかのわたしは思った。いま、結構夏を好きになっている自分がいて、それはあの頃のわたしからすると、ずいぶん遠くに来たなあとも思うし、ずいぶん明るいほうの世界にいることに、ふと気づかされるのだった。


鬱々とした暗い、地下の世界が好きだった。そういう人が好きだったから、なかなか幸せにはなれなかったけど、そこにいると自分は、分厚い毛布にくるまっているような安心感があった。だから冬が好きだった。


今年、あまりにも早く夏が来て、それも人々の想像をはるかに超える夏が来たことで、わたしは約10年前に書いた、ショートショートのことを思い出したのだった。


あの頃、仲良しの友達がいた。大抵会うのは夜だった。摑みどころがなくて、でも話が合って、演劇やダンスのこととか、たくさんのことを教えてくれた人だった。一緒にいると居心地が良くって、よく眠る人だったなあ。あの年も、それはもう本当に暑い夏だった。と言っても今年に比べれば大した暑さではなかったが、あの年、わたしは大嫌いな夏の中にいながら、その人と一緒にいるその時間があったからこそ、今年はきっと特別な夏になると思って、いつかわたしはこの夏を幾度も思い出し、振り返り、あたたかくてやさしい気持ちになるだろうと確信して、あのショートショートを書いたんだった。そうしてわたしがわたしのためだけに書いた物語が、今のわたしをこんなにも勇気付けてくれて、あんなコンプレックス満載の大学4年間ですら、わたしがわたしで良かったと思わせてくれる原動力になるなんて、あの頃はちっとも思わなかったけど。


昨年関わっていて途中で頓挫してしまった仕事のプロジェクトが、今年になってようやく公演として上演されることになって、それが今週末だったのだけれど、どうしても私用で観に行くことが出来なかった。そしたら上司がそのアーティストと海辺で撮った写真を送ってくれた。その公演が行われたのは神戸の海の近くなので、きっと公演前か後に、みんなで遊びに行ったんだろう。写真の中の上司とアーティストたちは、とても良い顔をしていた。笑ってる人もいたし、ジッと海を見つめている人もいた。とにかくその写真、とっても良い一枚だった。そのことがわたしをとてもセンチメンタルにさせて、それはその場にいたかったという気持ちもあるかもしれないし、昨年ある事情でそのプロジェクトを中断せざるを得なくなった当時のことを思い出したのかもしれないし、写真の中の夕暮れがそうさせたのかもしれない。はたまた、普段お役所仕事に忙殺されてしんどそうな上司が、リラックスした顔で写っていたのもあるかもしれない。


青春、から思い出されるたくさんの瞬間。阿佐ヶ谷のデルソル、高円寺の古本屋、吉祥寺の井の頭公園西武新宿線沿いを歩いたあの夜、中野駅前の芝生に3人で寝転んで夜まで語ったあの日、渋谷行きの井の頭線に乗りながら真昼の太陽を浴びたあの時間とかとか、、、何もかも忘れたくないし、忘れないでしょ?


そしてきっと今年の夏も、いつかきっと振り返るんだろう。大切な人がひとり増えて、一緒にいる初めての夏が楽しくて、少しでも憶えていたくて、少しも忘れたくない。



11月に喉の手術をすることになった。生死に関わる手術じゃないので大げさにすることもないんですが、まあきっと痛いだろうし、しばらく辛いだろうし、でも元気になるための手術だから、早く回復してまたたくさん遊びたいな。社会人以降、ずっといつ死んでもいいって思いながら生きてきた。そう思えるくらいには人と運に恵まれてきた。今死んでもたぶん幸せなんだけど、まだまだ生きるゾ〜。