お暇の隙間で


今年のお盆は久しぶりに自分がメインで担当するイベントがあって、5月頃からその準備に追われていた。一回きりのイベントだし、50人規模の小さなものだから今までと比べたら大したことないはずだったんだけれど、自社のお偉いさんや普段ほぼ関わらないセクションの人たちに気を遣いながら胃をキリキリさせながら仕事を進めていったこの数ヶ月、企画チームでがむしゃらに頑張っていた日々を思い出して、よくもまあ生きてこられたなあと感慨深かった。イベントは自分も周りもびっくりするほどうまくいった。

ということでストレスフリーな三連休の真っ最中である。今日はひたすらだらだらして散々昼寝して今。この後超久しぶりに筋トレしてまた海外ドラマを観る。

ひとつ前の日記に出てきた某外国人と、今もたまに会ってご飯を食べたり映画を観たりしているのだが、いざ深い話をしようとするとお互い母国語になり、それがお互い聞き取れないという壁にぶち当たっている。英語全然わからないんだねと言われて、紛れなりにも受験勉強頑張ってきたわたしには軽くショックだった。どうしてわたしは英語が喋れないのかと悲しくなる。でも事実は事実なので、、、

「なぜ英語を勉強するかというと、愛を伝えたいだからだ」と言っていた人が知り合いにいて、それはまさにそうなんだと思う。愛は一概にloveだけの意味ではなくて、自分が深く愛して追究していることとか人や社会に対して考えていること、そういうことを相手にきちんと伝えたいとき、わたしの場合は写真や絵や映像ではなく言葉に頼りたいし言葉で伝えたいと思う。なのにそれが出来なくて、フラストレーションはたまる一方である。某は9月からしばらく日本を離れるので、当分会うことはないのだけれど、わたしは彼がいない間、そのフラストレーションにどう向き合うんだろう?英語を話せるようになりたいという今のこの強い気持ちも、またすぐ忘れてしまうのかな?

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夏真っ盛りの今だけれど、欲しいワンピースがあってネットを見ていたらファッション業界には既に秋が到来していた。秋は好きだ。だんだん涼しくなる初めの時期も好きだし、だんだん寒くなる終わりの時期も好き。薄手のニット一枚で歩き回れるのも好きだし、自分に似合う色が増えるからっていう理由も最近追加された。31歳の秋がもうすぐそこまでやって来ている。

30代になってようやく自分の身体と向き合う気持ちになり、その時間も獲得し、自己愛の大切さに気づいて自分を愛そうと努力しているが、日々身体はゆっくりと確実に衰えていくし、残りの時間も少なくなっていく。ベッドに寝転んで自分の身体の曲線をボーッと眺めながら、わたしは後どれだけの恋愛をするんだろうとか後どれだけ傷つくんだろうとか後どれだけ手術するんだろうとか死ぬ直前までご飯はもりもり食べたいなとかしょうもないことを考えたりする。

前の彼氏と別れてから、もう自分はsteadyな関係を築くことは無理なのではという気持ちになっていて(頭の中ではもちろんSPEEDが流れている)、だからひとりの人に固執しないようにずっとアプリでスワイプしている。スワイプし過ぎて流れ作業になってくると、なぜわたしはスワイプしているんだろうという哲学ゾーンに入ってくる。steadyな関係はいらないと思いながら、でも誰かに出会いたいと思っている。時間の無駄か?と思うときもあるが、もうやーめた、という気持ちになるまではこのゾーンを繰り返そうと思っている。少なくとも今、初対面の人とサシでご飯を食べに行くということには全く緊張しなくなったわたしがここにいる。それだけでも、大きな成長なのだから。

久々に暇になったので、最近考えていたことをつらつら書いてみた。大学一年生から続けてきたブログも、もう13年か。わたしが死ぬときはこのブログと前のブログを親友に託して公開してもらって死後に赤っ恥かこうかな。どれだけわたしが漫画みたいなこの人生と周りにいてくれる人たちを愛していたか、みんなに分かってもらえるようにこれからも記録し続けたい。