プライドと偏見

最後のエントリーから5ヶ月以上も経ったのか。時間は本当にあっという間に過ぎていく。

3ヶ月の長くて短い旅は大きなハプニングもなく無事に終わった。生き延びた、という表現が正しいけれど、確実に自分の考え方、人生に対する向き合い方が変わった旅だった。

訪れた国で経験したこと、感じたことは改めて文字にしたいと思うが、帰ってきてから今までの数週間の間でいろいろなことがあり、たった今感じていることを書き留めておきたいと思う。

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3ヶ月の間に出会った人たちの大半が、自分の時間の使い方を自分で決められる生き方をしていて、その事実がわたしの胸を打った。

自分で決められるということは、その全ての責任が自分に託されている。そのことが、まだ大学生で若かった頃のわたしにはとても怖いことに思えて、自分にその才能はないと思っていた。だから会社勤めをすることはわたしにとって当たり前の選択だった。

それから10年以上が経ち、転職をしながらもわたしはずっと同じジャンルの同じ仕事を経験してきた。東京での4年半、京都で過ごした6年の間には本当にいろんなことがあって、辛い思いも楽しいこともたくさん経験してきた。興味のあることを仕事にできるのは幸運のひとつで、幸いにもわたしはそのチャンスに恵まれ、今もその仕事を続けている。この10年で、友人は結婚・出産を経験したり仕事で成功したりと、分かりやすいステップアップや節目を迎えてきたように見えたが、わたしはずっと同じ場所、ポジションに留まって生きてきた(と、少なくともわたしは思っている)。

京都で働き始めて数年後に過労で体の限界を感じた時でさえも、この仕事を離れるという選択肢はなかった。自分の好きなジャンルの仕事で生活ができて、この業界にしてはホワイト企業で、刺激的で優しい人たちに囲まれている今の職場に、大きな不満はなかった。元々の企画職から離れて別の部署に異動してからは自分の時間が増えて、引き続き同じ職場で働くことができたので、少なくとも後5年くらいはここで働くんだろうなと漠然と思っていた。

そんな時に今の彼に出会った。もうすぐ二年になる相手は、生まれた国も年代も考え方も違う人で、望んで一緒になったとはいえ最初は本当に大変だった。分かり合えないところからのスタートだったから、何度も話し合いをしたり、ときにはぶつかり合ったりと価値観の違いを越えていく作業を繰り返した。そのうちに、自分は長い間似たような価値観の人たちに囲まれて生きてきて本当に幸せだったんだなと気づいたし、同時に、違う価値観を持つ相手と一緒に過ごすための方法や、相反する意見の折り合いを探り、妥協点や新たな解決策を見つけるという作業の大事さも知った。世界はとんでもなく広くて、異なる価値観を持った隣人がたくさんいて、その中でどうやったらハッピーに過ごせるのか?価値観の似た人だけを選んで狭い範囲で生きていくのは最高にハッピーだと知っているわたしが、まさに大海に飛び込み、あらゆる価値観が混じり合う荒波のなかで、それでもどうわたしらしく生きるのかを必死になって探す二年間だった。

そうしてその作業に一段落がついた今、わたしは、自分の生き方に責任を持ったうえで、いろいろなことから自由になりたいと切実に思っている。来年には34歳になるわたしだが、今、改めて自分の人生を見つめ直す時が来たようだ。

そう覚悟を決めてから、新しいことを始めた。思えば長いこと頭の片隅にあった小さな夢のようなものを、少しずつ叶えようとしている。再来年の3月に今の仕事を辞め、その夢を本職にすることを目標に、少しずつ頑張ろうと思っている。

その矢先に、辛いことがあった。

とても親しく信頼していた人が、わたしの仕事に対する向き合い方を遠巻きに非難してきたのだ。ここではその詳細は書けないし書かないが、その事実を知ったとき、想像以上にショックで、帰ってから大泣きしてしまった。その人とはもう5年以上一緒に働いて、仕事のことだけでなくプライベートでもお世話になって、大好きな人だった。だからその人がわたしの仕事ぶりに疑いを持っているということだけでも辛かったが、それを直接ではなく別の人を介して非難してきたことが何よりも悲しかった。人生の新たな目的を見つけ、水面下で進めているわたしが言えることではないかもしれないが、少なくとも今の仕事に対しては真剣に向き合ってきたつもりだ。すごく仕事ができる人間ではないのは分かっているが、他の同僚よりも経歴が長く、そのことを活かせるポジションに付けてもらっている以上、手を抜かずにやってきたつもりだった。

その出来事が起きてからもう2週間以上経つが、どうしても自分のなかで整理が付かない。その人がその行動をしたことを理解したいし許したいし忘れたいのだが、どうしても頭から離れない。そして今日、それを助長するようなことが起こり、別の同僚と二人きりになったときに、わたしが元気がないのに気づいて何かあったのかと聞いてくれたその同僚に思わず話してしまい、涙が止まらなくて号泣してしまった。

帰ってきてからもそのことを考えていて、なんかもう、ここにいる意味はないかもと思ってしまった。わたしが今やっている仕事は、ときに低く見積もられがちな仕事だが、このポジションの人たちがきちんとその仕事をやらないと簡単に職場の評判は落ちてしまう。雑用も多いし簡単そうに見えるが、外部の人たちとのやりとりも多く、みんな我慢したり愛想笑いしながら一生懸命仕事してる。そういったことの諸々をすべて否定されたような気がして、それも尊敬していた人にそれをされて、自分でも訳が分からないがかなり落ち込んでいる。

彼氏はわたしの小さな夢を心から応援してくれていて、具体的なサポートもしてくれて、本当に感謝している。その出来事が起きた時には上司としての経験がある立場からの意見もくれたし、「まあ最終的にはFuxx offって思っていればいいよ!」と励ましてくれた。そして「会社を辞める良い理由ができたね!」と。そういう性格に本当に助けられているし、今の自分にそういう相手がいることは本当にありがたいことだと思う。

まあこれを書きながらやっぱり悲しくて泣いているのだが、なんかほんとにもう、どうやって心の整理をしようかなと。もちろんこの先も一緒に働いていく相手なので、どっかしらで忘れるかケリをつけるしかないのですが、相手を責めたいわけでもないし、謝ってほしいわけでもない。。ただどうしてそんなことをしたのか、わたしにそれを伝えてどう思ってほしかったのか知りたい。そしてわたしはそんな人間じゃないし、あなたが心配するようなことは起こりませんよ、とはっきり反論したいのだ。それなのに人を介して伝えるから、意図がわからないし、わたしに弁明のタイミングもない。そしてそれはずるいと思う。

まあ何が言いたかったかというと、本当に、6年勤めている今の会社を辞める時が近づいているのだなあと。正直もうこの業界に未練はない。ここでの経験はすべて貴重な財産であることに間違いはないが、わたしはもっと自由になりたいし、まだ知らない世界を見たいし、新しい自分にも出会いたい。でも辞めると決めたからには気持ちよく辞めたいし、誰かとの因縁を残して辞めるのは嫌だし、さらっと終わらせてほしい。

忘れるしかないか。時間が解決してくれると信じたい。