絶え間ない光

職場の慰労会、ホテルの美味しい料理を口にし、知っている顔も知らない顔もいるその円卓を囲みながら、その円卓の一部になりながら、この、今のわたしの目に映るこの人たちにもそれぞれの人生があって、あ、今生きている、今わたし、確実に生きている。というようなことを瞬間的に思ったのだった。


仕事柄黒い服が必要だからと理由をつけて、今日も黒いシャツを買った。気に入っている。買った服を着ている。服を着て歩いている。歩いているうちに夜になる。夜だから、人が恋しくなる。


2週間以上続いた現場が終わり、次のフェスティバルに向けての中休みのような1日だった。あてもなくダラダラと過ごした。昨晩、それこそ慰労だと言って上司に連れられ三条木屋町の焼肉屋に行き、たらふく肉を喰らった後に、残りの赤ワインをコンビニで買った紙コップにあけながら、鴨川沿いで3人、京都の晩夏を楽しんだのだった。風はささやかにそよいで、芝生に寝転ぶと夜露が買ったばかりの服に沁みたのだった。学生みたいだねと笑いながら、どこか学生になりきれない大人たちは、2、3分の間夢の世界を彷徨い、目覚めた時にはもう秋で、冷えた身体を抱えながらタクシーに乗り込んだ。


東京で過ごした日々はいつだって恋しい、わたしの青春は東京にあったのだと自信を持って言えるのは、東京を離れたからだってことも、わかっているのです。


1年以上付き合った人との別れがもうすぐそこに来ようとしていて、それはわたしがその道を選ぼうとしなければ回避できることなのだけれど、わたしは別れを選ぶのだろうなあ。


人生は、声と光。いつだって、目を覆いたくなるほどの光を、わたしは探している。