父の手術

父が癌になり、手術をした。いつかはこんな日が来ると、たぶん同世代と比べると覚悟は出来ていたはずだったけど、いろいろな思いが巡った数ヶ月だった。忘れないように書き留めておく。

9月末、自分の通院のために実家に2泊3日で帰省。
帰省初日は昼に到着し、両親が迎えに来てくれて駅近くの寿司屋でご飯を食べた。その後わたしは一人でイオンに買い物をしに行って、夕方帰宅した。
夜は父が作った料理を母と3人で食べ、買って帰ったお酒を3人で飲んだ。父の手料理は帰省する度に上達していて、最近では彩りまで美しくなった。インスタ映えである。
実家に帰ると必ずパソコンの不具合を治して欲しいと頼まれ、それが治ったら母親のかんたんスマホのアプリ更新をするのが恒例になっている。ので、ご飯の後はずっと機械を触っていた。早寝の父が21時頃に去り、その後母と二人リビングで撮り溜めてくれていたSMAP関係の番組を25時くらいまでひたすら観た。

2日目、朝から病院に行く。土曜だったので3時間くらい待って辛かった。結果は前回と変わらずで良好。いつも半年おきに受診しているが、次は一年後で良いと言われた。
その後父母と合流して、地元のクラフトビール レストランへ。運転をする母を差し置いて父と二人で飲む。帰り道の途中で降ろしてもらい、わたしは岡山芸術交流の作品展示を観にいくつかの美術館を巡った。地方の芸術祭に行ったの、本当に久しぶりな気がしてよかった。
夕方帰宅。再び父の手料理を3人で食べる。

食べ終わってぼーっとしていたら、父が「話がある」と言って目の前に座った。笑いながら「実は癌になった」と言った。念のため言っておくと岡山弁丸出しなのを標準語に直しています。

春に受診した会社の定期検診で肺に影が見つかったこと、転移なども含めて全部の検査をするのにかなり時間がかかって最終の結果が出たのが8月だったこと、ステージ1の肺がんであり現段階の検査では転移は見つからなかったこと、手術が必要で肺の一部を切除すること、手術したその日はICUに入ること。そう言ったことを父と母が少し照れた感じで一気に話した。

野人みたいな父は、元々心臓が弱い以外は健康優良児で昔も今も生きてきて、もう40年くらい風邪も引いていないような人だったので、わたしも面食らったし母も面食らったという。うん、うん、でも早い段階で見つかって良かった、というのがわたしは精一杯で、たぶん深く考え始めたら泣いてしまうぞと思って、必死に上辺で対応した。父母が明るく努めようとすればするほど、イコール落ち込んでいるのを隠そうとしているんだということが分かってしまって、それも辛かった。

兄と姉に話したのかと聞くと、兄には一週間前に話した、姉には心配かけてもあれだからまだ言っていない、手術の日が確定したら連絡すると言う。お願いだから早く連絡してあげて、自分が姉だったらギリギリまで我慢されるのは悲しいとちょっとイライラしながら話した。父と母はたまにそういうところがあり、人に迷惑をかけるのを極端に嫌うのだ。そういう風に育てられたわたしが、社会人になって「人は迷惑かけてナンボ」という精神を身につけた今出来ることは、父と母に「どんなに努力しても迷惑をかけずに生きるなんて不可能、迷惑かけたもん勝ち」と懇々と伝えることである。こういう逆転説教タイムが年々増えている。

それはさておき、兄は電話で父の病気を聞いた時「俺は信じない!」の一点張りだったらしい。さすがうちの兄である。自分でも思うけど、絶対兄よりわたしの方が精神年齢高いと思う。

10/25が手術の日で、時間は未定と父が言った。わたしは頭が軽く混乱していて、「また後でスケジュールを確認するけれど、兄も姉も帰って来れないので、なんとしてでも立ち会う」と伝えた。父と母は「そんな無理しなくても、、」とマジで思っていたみたいだが、二度の全身麻酔手術の、経験者としては、目覚めた時に誰かがいてくれると本当に嬉しい、人が多ければ尚更嬉しい、あと手術の間の待ち時間は結構ヒマということを知っているので、ゴリ押しして立ち会うことにした。それで後日スケジュールを確認したら、まさかの偶然で三連休だった。タイミング良すぎる。

一通り話した父はスッキリした顔で自分の部屋に戻っていった。その後母と手術関係の話を諸々した。日付が変わる頃にわたしも寝ようと思って自分の部屋に行き布団に入ってから、やっと涙が出てきた。それが悲しさから来るものなのか、不安か、心細さか、結局分からなかった。なかなか眠れなくて、眠れない時にいつも聴くお笑い芸人の深夜ラジオをひたすら聴いた。たぶん3時頃にやっと眠ったと思う。
3日目、父母に送ってもらって帰京。

10月中旬、手術の時間が決まる。

10/24、朝から引越しの荷造り。マジで終わらなくて絶望する。夕方にバスで帰省。大雨。バスの中で食べたデパ地下ご飯が美味しかった。新幹線で帰って来たらいいのにと言われたが、わたしはバスが好き。
21時前に実家最寄りの駅に着き、母と合流。父は前日に入院を済ませ、それに合わせて日帰りで兄が帰ってきてくれたとのこと。父は大変喜んだと言う。わたしは兄のことを心から見直した。7年前の大喧嘩を水に流してあげようと思った。

10/25、9時過ぎからの手術に合わせて8時過ぎに母と病院へ。手術着の父と面会、軽く話す。あっという間に手術の時間になり、オペ室に入っていく父を見送る。待合室に移動して、親族向けの手術の注意事項を看護師さんから聞かされる。母とたわいもないことを話したり、わたしが持ってきた英語の勉強本でクイズを出し合ったり、軽い筋トレをしながら待った。

4時間と少ししてから、手術終了の連絡を受ける。予定通り、上手くいったとのこと。しばらくして、担当医師から説明を受けるために別室へ移動。先生がタッパを4つくらい抱えてやってきて、何の前触れもなく「はいこれが切除した癌です〜」とタッパを開けた。おい!
タッパの中には、大きなレバーみたいなものが入っていた。一瞬カエルにも見えた。グロいのダメなんだけど、現実味が無さすぎて大丈夫だった。父の肺(の一部)は30年間吸った煙草のタールによりところどころ黒くなっていた。癌の原因も「煙草です」と先生ははっきりと言った。それでも途中で禁煙したので、まだマシな方だとも。ちなみに父は、わたしが当時合格率50%くらいの高校を受験して何とか受かって、それに感動して禁煙した。当時は反抗期真っ最中だったから「なんやねん」と思っていたが、なかなかの感動秘話である。
肺の切除と合わせて採取したいくつかのリンパ節を、これから検査にかけて転移有無の最終チェックを行い、一週間くらいで結果判明とのこと。

10分後くらいに呼び出しがあり、ICUへ。麻酔が切れて目が覚めた父と再会。まだ麻酔が残っていてぼーっとした感じがあったが、思ったより顔色も良くて安心。しかも喋っている。「煙草が原因だって」と伝えると、気付くか気付かないかくらいの感じで泣きながら「みんなに迷惑かけたなあ」と言った。父の肺は大きなレバーみたいで、一瞬カエルに見えたと言ったら、笑いながら「今日の夜は焼肉食べられんなあ」とジョークを言ったのでホッとする。

ホッとしたらわたしも母もお腹が空いてきて、いったん昼食を取りに病院を出る。何を食べるかという話になり、入院の日に父が滅多に食べないピザを食べたいと言い出したらしく(もちろん入院の日なのでやめたらしいが)、代わりに食べてあげようということでイオンのフードコートでピザとパスタを分け合って食べた。 

その後フラフラとお店を見て、16時くらいにICUに顔を出す。まだフワッとした感じではあるが意識ははっきりしていた。少し話して、また明日ということになり帰宅することに。

家に着いたが、手術が無事終わった安堵と疲れで何とも言えない心持ちだった。母が、兄が古着を何着か置いていったと言い出してセーターを取り出した。兄はいつもピタッとしたブランド物しか着ないので、貧乏なわたしにはサイズ的にも値段的にも嬉しい限りである。それで普段着ないような明るい水色のセーターがあり、似合わないだろうと思いつつ着たら似合っていて、ビタミンカラーを着たわたしの顔が晴れやかに見えて、あっ今わたし、服から元気をもらっているぞ、という、あまり感じない類の幸福感があって、兄ありがとうとなった。毛玉でいっぱいだしシミもあるけど大事に着よう。

夜は母の作ったご飯を食べた。そこで初めて気付いて口には出さなかったが、父の料理の味が確実に母を超えてきている。父の料理が恋しくなった。

翌日はゆっくりめに起きて、朝ごはんを食べてから病院へ。着いた時にはもう一般病棟に移っていた。昨日の感じから「今日はもうスタスタ歩いてるかもね」とジョーク混じりに母と話していたが、さすがに手術の翌日だったので38°近い熱が出ていた。父は風邪も熱ももう何十年も経験してこなかったので、熱が出ている自分に落ち込んでいた。が、もうご飯を食べ始めたそうで、何か食べたいものがあるかと聞くと、アイスモナカが食べたいという。院内のコンビニで買ったモナカを渡すと、元気に食べ始めた。それを見て少し安心した。

必要なものを買い足したり、ぺちゃくちゃ話したりしていたら、あっという間に2時間くらい経っていてびっくりした。帰京の時間が近づいてきたので、父に別れを告げて病院近くのうどん屋で母とうどんを食べ、路面電車の駅で母と別れる。岡山駅に着き、新幹線で帰京。

混雑を避けるため、京都駅から今出川まで向かう途中でかなりテンションの下がることが起こり、そこでドッと疲れる。そこから家に着くまでがかなり辛くて、家に着いてから結構泣いた。今考えると大したことなかったんだけど、だいぶダメージを喰らったのでたぶん自分が思っていたよりも疲れていたんだろう。


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その後父は順調に回復。来週転移有無の最終結果が出るとのこと。取り急ぎ備忘まで。