傍らにいること

西日本にあるわたしの実家は、8階建てのマンションの6階にある。わたしが中学三年生の時に、当時住んでいた社宅から今の家に引越した。学区外だったので、最後の半年間は家から延々と自転車を漕いで、大きな橋を渡って学校まで通っていた。

昨年、母方の祖母が亡くなった。実家にはもうわたしの部屋は無くなっていて、和室がわたしの一時的な寝室になる。和室の隅にはどっしりとした本棚があって、本棚の上に、手のひらに乗るくらいの可愛らしいお地蔵さんが置いてあって、その横にお猪口サイズの湯呑みがあり、湯呑みの中にはお茶が注がれている。おばあちゃんの仏壇はいわゆる仰々しいそれではなく、そんな体裁で、ある意味ラフな感じで、そこにある。実家に帰ると必ず、というわけではない、だけど思い出したようにわたしは、その小さなお地蔵さんに向かって手を合わせる。おばあちゃん、わたしは元気です。おばあちゃん、パワーをください。自分勝手に、気持ちを伝える。

おばあちゃんが亡くなるまでの数年間、母はおばあちゃんの介護をしていた。わたしが大学を卒業して就職をしてようやっと両親の手を離れた頃、おばあちゃんの具合が悪くなり、母は文字通り一息つく暇もなくおばあちゃんの介護に付きっ切りになった。看護師だった母は一時的介護士を育てる学校で講師をやっていたりしてある程度慣れていたから、ごく普通の流れで自分の家におばあちゃんを呼び、介護を始めた。途中ひどく体調が悪くなった時は家から徒歩五分の病院におばあちゃんは入院していて、わたしも2度ほどそこを訪れた。母方の家は昔からいろいろあって、わたし自身は最後におばあちゃんの家を訪ねたのはもう十数年以上前で、だからおばあちゃんとは長い間疎遠になっていたが、まだおばあちゃんが元気に話せる時に病院へ行くと、おばあちゃんは泣いて喜んでくれた。

そして昨年の年明け、おばあちゃんは天国へ行った。母は、おばあちゃんの最期を迎えるまでの日々をおばあちゃんと一緒に過ごせたこと、そしてきちんと自分が世話をしておばあちゃんを見送れたということもあってか、その瞬間もどこかすっきりしていたというか、随分前から覚悟していたのだなという立ち振る舞いだった。

母は今60代前半、父は後半に入ろうとしている。わたしにはまだ、両親が老いていくという事実に対して理解はしているものの、上手く向き合えていないように思う。だけど今日、ある本を読んで、その中にこんなエピソードがあって、ああ、これだ、と思った。


ー看護師をやっている友人が、仕事場で迷ったとき、いつもある看護師さんのことを思い出すという。(中略)友人の目にいまも焼きついているのは、休憩時間の光景。患者さんのふとんの横で黙って正座して、寝間着や下着のつくろいをしていたその姿だという。
思いどおりにならない、それがケアだ。やりすぎたり、やらなさすぎたり、意図が通じなかったり、意図どおりに言葉が出てこなかったり、患者あるいはその家族に誤解されたり、何もできなかったり…。そのとき友人がいつも最後に身をあずけたのが、この「傍らにいるだけ」という姿だったのかもしれない。ひとはなぜ、ときにただ傍らにいるということだけでそのひとを支える力になりうるのか、と問いながら。


わたしはこの文章に触れて、おばあちゃんは、最後はもう、自分で話すことも、ご飯を食べることも、意思を伝えることも出来なくなっていったけど、それでもおばあちゃんは、自分の娘が横にいて、自分に声をかけてくれて、世話をしてくれて、ただ横にいてくれたことを、幸せに感じていたんじゃないかなあと、そう思えたのだ。あくまでわたしの主観だし、おばあちゃんがどう思っていたか、その本当のところは分からなくても、自分ではない誰かが傍にいることの温かさを、きっとおばあちゃんも感じていたと思う。

父も母も、もう随分前から、というか今の家に引越した時から、当時わたしが中学生だった頃から、自分たちが動けなくなっても介護はしてくれなくていい、死んだら家から見えるあの山に骨まいといて、と冗談半分で言う。わたしが将来、両親の介護をするかどうかはわからない、両親が望んでないならしない可能性の方が高いだろうと思う。だけどその時が来たら、わたしがやるべきことは明確だし、そういうつもりでいようと思う。