最近のわたしと、コタニさんについて

台湾ぶりに風邪を引いた。風邪を引くたびに扁桃の手術して良かったなって思う。しんどさが全然違うもんね。病院行かなくても治るし。

治りかけの身体で家までの帰り道にあるファミレスに来た。風邪を移すとまずいから友達は誘えなくて、でもこんな気持ちのまま家に帰ってまた1人になりたくなくて、大してお腹も減ってないけどファミレスに来た。マッシュルームスープとチキンステーキを食べた。絶賛糖質カット中。

元彼と別れてから半年経った。もう半年か、という気持ちとまだ半年かという気持ち。なんか今中途半端に適当な恋愛をしていて、この気持ちが恋愛というよりも執着に近いっていうのが自分で分かっていて、だから苦しい。

人が何かに執着する時っていうのは、その何かが足りていないとき。自分のステータスに不足があるとき。自分に自信が持てないとき。今の自分が幸せだって思えないとき。それが分かっているから、苦しい。

中途半端に好きになった人をネトストしていて、この子とくっついたらきっと二人は幸せになるんじゃないかというような女の子が彼にはいて、でも本当にくっついたらたぶんすごく悲しくて、だからずっとSNSとかをチェックしてしまうし、相手のことを疑ってしまう。

この人は身体だけの関係でいい!ときっぱり区分けしたものの、その人のいいところばかりが浮かんでしまって(よくないところもあるのに)、この人が今いなくなってしまったらわたしは本当にひとりぼっちになってしまうのでは、と思ってしまう。この人と付き合っても上手くいく未来がまったく見えないのに、ぽっかり空いた穴を自分で埋められないから、誰かに埋めてほしいと縋ってしまう。

わたしの友達がこんなことを言い出したら、「何を言ってるんや!」と喝を入れると思う。ほんま何を言ってるんやわたしは。生きているだけで幸せなはずなのに。

なんかたぶん、叶いそうにない恋愛を久しぶりにしているんだろうなあ。高校生の時とかこんなんばっかりだった、よく生きてこられたな。結局わたしは遊ぶのに向いていないのかも。すぐ本気になっちゃうから。そしたら本気で付き合いたいと思う人を探すべきだよね。

新しい人に出会いに行く、運動を再開する、趣味に没頭する、友達と過ごす。以上、風邪が治ったらやること。

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というようなことを、日曜19時前のファミレスでひとり考えている。ファミレスと、フードコートと、大学の食堂には、人の人生が詰まっているなっていつも思う。ひとりでそういう場所にいると、人の声がして安心するのと、でも知り合いがいなくて気が休まるのと、あちらこちらで繰り広げられる会話に、あ、確実にここに誰かの人生がある。って思えて嬉しくなる。

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父の高校時代の同級生だというコタニさんが、昨日職場を訪ねてやってきた。その前日にも顔を出してくれ、わたしが不在だったので改めて訪問してくれたのだった。コタニさんはぱっと見おじいちゃん、って感じの人で、父よりも歳上に見えた。視力が少し悪そうだったが、地域の合唱団に所属しているそうで声のよく通る人だった。よくよく話を聞くと今でも父とは交流のある人で、いやもうそれベストフレンドじゃん、みたいな思い出話が飛び出した。コタニさんは携帯電話を持っておらず手術後の父の様子が分からないので、ずっと心配していたようだ。コタニさん自身も膵臓がん、胃がんの手術を計3回経験しているそうだ。父は今、癌の可能性を根絶するために3ヶ月くらいかけて定期入院を繰り返しながら薬物治療をしているのだが、薬の副作用があまり出ていないので比較的元気であることを伝えると、ホッとした様子だった。暇過ぎて写経をしているそうです、と伝えると、大笑いしていた。

高校時代、父と二人で自転車に乗って岡山〜姫路〜淡路島の日帰り旅をしたことを楽しそうに話してくれた。いや自転車w 時代w ってなったけど、父の学生時代の話を人から聞くのは初めてで、とても新鮮で嬉しかった。こういうのってその人がいなくなった後にされがちな話だなと思いながら、良い思い出は生きているうちにたくさん人に話してたくさん共有すべき、わたしも自分の大好きな人たちとの思い出は出し惜しみしないようにしようと心に誓った。

コタニさんが所属している合唱団は、福島での震災以降、毎年慰問に行き合唱を披露しているそうだ。そこで見た実際の福島の様子を、コタニさんは毎回日記にしたためていて、一年分ずつを冊子にして人に配っているそうだ。それでわたしにも一冊くれた。まだ読めてないけど、時間があるときにゆっくり読もう。

コタニさんが来たことを父に伝えると「あいつは変わり者だから大変だったろう。相手してくれてありがとう」と返信があった。そんな変わり者とベストフレンドの父もきっと変わり者だし、コタニさんと気が合いそうだなと思ったわたしも、きっと変わり者なんだろうな。